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1877年9月23日 明治政府官軍、西郷惜別の花火と軍楽演奏(西南戦争)

高雄丸(ウィキペディア)

初代軍楽長中村祐庸(ウィキペディア)

明治4年(1871年)、政府が兵部省を陸軍省と海軍省に分けたのにともない、陸軍・海軍のそれぞれに軍楽隊が誕生した。陸軍軍楽隊(当初の名は「兵学寮教導団楽隊」)の初代軍楽長は西謙蔵、海軍軍楽隊(同じく「水兵本部楽隊」)の初代軍楽長は中村祐庸で、ともに薩摩藩軍楽伝習隊の出身であった。このとき発足した兵学寮教導団楽隊が、のちに「陸軍戸山学校軍楽隊」として知られる陸軍の軍楽隊である(名称は何回も変更された)。陸海軍の軍楽隊は数次の戦争や軍縮のつど、組織や人員に増減・変遷はあったが、1945年(昭和20年)の旧日本軍解体まで続いた。蓄音機やレコードなどの複製技術がなかった時代の軍楽隊は、あらゆる場面でさまざまな音楽供給をになう存在であり、そのため、民間からの出演要請にも可能な限り応じることが制度化されていた。フェントンは英国陸軍を退役して日本海軍軍楽隊のお雇い外国人教師として1877年(明治10年)の任期満了まで務めた。一方、西謙蔵を楽長とする陸軍の兵学寮教導団楽隊を指導したのは明治5年(1872年)に来日した第二次フランス軍事顧問団の一員であったギュスターブ・シャルル・ダグロンであった。

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